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op.1

ballet/orchestra/Mozart/Mahler/criticism

フィンランド国立バレエ来日公演を観る

4月22日、フィンランド国立バレエ(Finnish National Ballet)の来日公演に足を運んだ。同国唯一のバレエ団で、初来日だという。会場はBunkamuraオーチャードホール。初日。公演は二部に分かれており、第1部は、5演目からなる「北欧バレエ・ガラ」、第2部は、トーベ・ヤンソン原作による、ムーミンを題材とした新作バレエ(全1幕)という構成になっている。なお、音楽は録音が使用された。

バレエ団を率いるのは、ケネス・グレーヴ(Kenneth Greve/デンマーク出身)。2008年より、芸術監督を務めている(2018年退任予定)。また、ダンサーは、エトワール(Étoile)、プリンシパル(Principal dancer)、ソリスト(Soloist dancer)、ダンサー(Dancer)の4階級に分かれている。

では上演順に、ダンサーを中心として、感想を述べていこう。

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白鳥の湖》第3幕より、「スペインの踊り」、「ハンガリーの踊り」、「ロシアの踊り」、「オディールと王子のグラン・パ・ド・ドゥ」

振付けは、レフ・イワーノフ/マリウス・プティパ版に基づく、ケネス・グレーヴ。2009年初演。

スペインの踊りを踊ったレベッカ・キング(Rebecca King/ソリスト)は、比較的よく肉体を造形し、決して高くはない跳躍も、かたちとなっていた。しかし、芸術性を示すには至らなかったようだ。

ロシアの踊りを踊った松根花子(ソリスト)は先ず、肉体に注目させられた。筋肉は控え目で、その分、柔らかい肉がついている。一方、踊りは、その肉体性を引き受けることがなかった。つまり、両者は乖離して、バレエとして一致していなかった。

オディールを踊ったのは、モルドヴァ出身のバレリーナ、アリーナ・ナヌ(Alina Nanu)。彼女は Czech National Ballet のプリンシパル・ダンサーで、今回、ゲスト・プリンシパル・ダンサーとして、日本公演に参加した。強い抑制が、踊りに特徴的だ。また、脚は有機的なかたちをしておらず、全体としてやや肉づきがよい。踊りそのものの芸術性は、微温的であった。

ジークフリートを踊ったのは、キエフ・バレエのソリスト(premier)、デニス・ニェダク(Denys Nedak/ゲスト・プリンシパル・ダンサー)。踊りの造形性や、跳躍の反重力性など、一定の芸術性は示されたものの、完成度にむらがあった。

 

トゥオネラの白鳥」(《レンミンカイネン組曲》より抜粋)

イムレ・エック(Imre Eck)という、ブダペスト出身の振付家(1930-99)の作品。フィンランド国立バレエのためにつくられたという。音楽はジャン・シベリウス。「トゥオネラの白鳥」は、男女によるパ・ド・ドゥだ(1988年初演)。

トゥオネラの白鳥を踊ったのは、エトワールのティーナ・ミュッリュマキ(Tiina Myllymäki)。彼女の踊りはほとんど憶えていない。全身黒のタイツで、臀部から腿にかけて揺れる、黒い肉の感触は、わずかに残っている。技術が低かったわけではない。踊りの美質は何かと目を凝らしているうちに、音楽が終わってしまったのだ(言及しなかったが、先に「ハンガリーの踊り」を踊ったイーガ・クラタ(Iga Krata/ダンサー)もそうだった)。

 

《シェヘラザード》より、グラン・パ・ド・ドゥ

振付けは、リムスキー=コルサコフ音楽による、グレーヴ。2010年初演。

シェヘラザードを踊ったのは、エトワールのハ・ウンジ(Eun-Ji Ha)。韓国のユニバーサル・バレエなどを経て、フィンランド国立バレエに入団したという。小柄なバレリーナで、踊りは上手い。しかし、芸術性は欠落している感があった。「美しい踊り」になりきれない、「きれいな踊り」を観ているようだった。

シャフリヤール王を踊ったのは、ジョナタン・ロドリゲス(Jonathan Rodrigues/ダンサー)。彼は技術自体、あまり高くなかった。

コール・ド・バレエのバレリーナは、体が硬いと感じさせる傾向があり、バレエ特有の、明晰にひらかれていない印象をもった。

 

バレエ《悲愴》より

フィンランド国立バレエ・元芸術監督、ヨルマ・ウオティネン(Jorma Uotinen/1992-2001年在任)の作品。1989年初演。

チャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》から、第3楽章が流れる(Allegro molto vivace)。登場したのは、スキンヘッドに白い身体(からだ)、目の下にくまを溜め、ロマンティック・チュチュを着けた、一人の男性ダンサーだ。のっけから、舞台が異様に雰囲気を変える。踊ったのは、アンティ・ケイナネン(Antti Keinänen/ソリスト)。

狂気を感じさせる踊りだ。ユーモラスなまでに狂気。その際、ユーモアは、狂気を演じてはおらず、おかしさに、悲しみが宿っている。後ろでんぐり返しをして、両脚を真上に上げ、チュチュが垂れ下がって、下半身が露出し、後ろが見えたのだが、何もはいていないように見えた。振りには、《ジゼル》のグラン・パ・ド・ドゥで、ジゼルが体を反らせて跳ぶ、特徴的な跳躍や、背中をむけた、《瀕死の白鳥》の波打つ両腕などが引用されていたようだ。しかしそれらは、あくまで借り物であり、バレリーナがするように、肉体を「剥き出し」にはしない。その意味で、性差を越境しているようで、実は、その手前で戯れていた。バレエの技法が剥き出す肉体は、性の壁を低くして、純然たる〈肉〉へと向かおうとするからだ(バレエの美がエロティックなのも、そのためだ)。これが象徴するように、彼が踊ったのは「バレエ」というよりむしろ「ダンス」(の狂気)であった。

曲は途中で明るく切断され、ダンサーは爽やかに消えていった。 

 

ドン・キホーテ》第3幕より、「ファンダンゴ」、「グラン・パ・ド・ドゥ」

振付けは、マリウス・プティパ版に基づく、パトリス・バール(1993年改訂振付)。ファンダンゴ振付けは、ホセ・デ・ウダエータ。

サッラ・エーロラ(Salla Eerola/エトワール)がキトリを踊った。とても肉づきのいいバレリーナだ。下手ではない。しかし彼女も、その肉体性を生かさなかった(肉体の太さ、そこに、創造的な契機が潜んでいるとはいえまいか?)。

バジルを踊ったのは、ミハル・クルチュマーシュ(Michal Krčmář/エトワール)。彼は、踊りからコントロールが外れることがあった。肉体を、空間に放擲(ほうてき)することがあったのだ。

 

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バレエ《たのしいムーミン一家ムーミンと魔法使いの帽子~》("Moomin and the Magician’s Hat")

振付けはグレーヴ。音楽のトゥオマス・カンテリネン(Tuomas Kantelinen)は、グレーヴが、フィンランド国立バレエのためにつくった、《雪の女王》(2014年)と《人魚姫》(2015年)でも作曲を担当したという。配役表によると、上演時間は約55分。フィンランド国立バレエは、2015年、《ムーミン谷の彗星》("Moomin and the Comet ")(振付:Anandah Kononen/彼女は2016年まで、このバレエ団に在籍していたバレリーナで、その間、振付けも手がけていた )を発表しており、《魔法使いの帽子》は「ムーミン・バレエ」の第2作となる。

ムーミンは男性ダンサー(フローリアン・モーダン(Florian Modan)/ソリスト)、ムーミンパパはバレエ・マスター(キンモ・サンデル(Kimmo Sandell))、ムーミンママ(イラ・リンダール(Ira Lindahl)/ダンサー)とスノークのおじょうさん(小守麻衣/ダンサー)は、女性ダンサーが着ぐるみで踊ったが(ムーミンスノークのおじょうさんは、パ・ド・ドゥを踊る)、バレエの中心は、ルビー(松根花子)とちびのミイ、そして、群舞(雪の精や花の精)だった。

ちびのミイを踊ったのは、エミリア・カルミッツァ(Emilia Karmitsa/ダンサー)。役名どおり、やや小柄なバレリーナだ。彼女はトゥシューズをはいているが、赤い、ゆったりとしたワンピースを着ているので、身体は脚しか見えない(とても細い脚だった)。バレエの芸術性は評価することができなかった。

 

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芸術の体験は、作品に、充分な技術を認めるだけでは不足で、芸術性が、高い完成度をもって現れる必要のあることを(そのとき技術は、より充実するだろう)、「芸術未満の芸術」を鑑賞すること通じて、そのつど再確認させられるバレエ団の公演だった。作品本位に言い直せば、上手く踊られることと、美しく踊られることの間には、わずかで決定的な差が横たわっているのだと、認めざるをえなかった。