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op.1

ballet/orchestra/Mozart/Mahler/art

谷崎潤一郎『異端者の悲しみ』を読む

二月某日、谷崎潤一郎(1886-1965)の『異端者の悲しみ』を読んだ。大正六年(1917年)七月、中央公論誌上に発表された作品だという。 新潮文庫で読んだ。

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間室章三郎。彼は東京帝国大学の文科に籍を置く学生だ。東京生まれで、25、6歳とされる。学校にはほとんど通っていない。お富という、十ほど年の離れた妹がおり、一年以上、病の状態にあるという。彼女は、現在、肺病を患って治る見込みがなく、先が短いことを本人も自覚している。もう体が不自由で床から出ることができず、気晴らしといえば、母親を呼ぶことくらいだ(間室家は父を含め四人家族)。五月から六月末にかけての話である。

「午睡をして居る章三郎は、自分が今、夢を見て居る事を明かに知って居た。」という一文で、この作品は始まる。彼は夢の内容を変化させたり、夢と現実の因果関係を眠りながら把握したり、睡眠の深さをコントロールすることができた。「成ろうことなら、己(おれ)はいつまでもこうやって眠ったまま生きて居たい」。そう思う一方、「現実の世に執着しつつどうにかして楽みを求め出したかった」。

間室家は貧乏だった。章三郎の学費やお富の医療費は親類が出している。そんな彼は裕福な友人が羨ましい。性格や学業など「彼等に対して自分が持って居る弱点の原因は、悉(ことごと)く金の問題に帰着する」。章三郎はそう考えていた。「彼等の到底企及し難い芸術上の天才」も、社会的・経済的に成功するために使われるだろう。そこには「一尺登れば一尺登っただけの楽しみがある」と思っていた。 

彼には独り言をいう癖がある。「そうしてそれ等の耻(はず)かしい言葉や物凄い言葉は、いつも大概種類が極(き)まって居て、殆(ほと)んど狂人の譫言(うわごと)としか思われない突飛な文句ばかりであった」。何故その言葉が口を衝くのか、本人にも理解できない。代表的なものとしてあげられるのが、「お浜ちゃん、お浜ちゃん、お浜ちゃん」、「村井を殺し、原田を殺し………」、「楠木正成を討ち、源義経を平げ………」の三つ。心当たりがあるのは、初恋の女性の名前である「お浜ちゃん」くらいで、他の二つは不可解だ。 「村井」と「原田」は中学時代の同級生の名前だが、特に交流はなかった。ただ、彼らは美少年で、章三郎はその容色に惹かれていたという。最後の二つの名に関しては最もよく分からず、小さいときに熱中したきりだった。いずれも既に、記憶や関心の埒外にあったものだ。彼はこれらの独り言を、脳の病気と考えているふしがある。

また、章三郎はお富の瞳、「凹(くぼ)んだ眼窩(がんか)の奥に光って居る凄惨な瞳」が恐い。「章三郎はこの妹の、奇妙に冴えた神秘な眼の色で睨まれるのが恐ろしくて、便所へ行くのに是非とも其処を通らねばならないのを、この間から何となく気詰まりに感じて居た」。お富は「もともと十五六の小娘にしては恐ろしい程にませた〔ませたに傍点〕怜悧な子であったのが、不治の病に陥ってから一層神経過敏になって」いる。

しかし彼は、妹の態度が気に入らない。母を罵ったり、兄に悪態を吐(つ)いたりと生意気なのだ。「彼は思い切って怒鳴り散らしてやりたい事が度び度びあった。彼女が死ぬ前に是非一遍、頭ごなしに打ち懲らしてやらなければ、腹が癒えないとさえ考えて居た」。何度も思いとどまるが、後に一度だけこう言ってしまう。「なんだ手前(てめえ)は? 足腰も立たない病人の癖に、口先ばかりツベコベと勝手な事を抜かしゃあがる。可哀そうだから黙って居てやりゃあ、いい気になって何処まで増長しやがるんだ。手前の指図なんぞ受ける必要はないんだから、大人しくして引込んで居ろ。どうせ手前のような病人はな、………」。お富は「再び何とも云わなかった。蒸し暑い、森閑とした夜更けの室内に、依然として表情のない彼女の瞳は、いつ迄もいつ迄も氷の如く冷やかに章三郎を視詰(みつ)めて居た」。

お富の目や瞳の描写は多い(気づいた限り頁数を列挙すれば、138, 143, 212, 213, 218)。強調されるのは、その据(すわ)った透明感だ。例えば上の「表情のない彼女の瞳は…」。それは眼差しともいえない眼差しをなげる瞳だ(手もとの辞書には、「眼差し」に「目の表情」とある)。彼女の目は、ほとんど死を見詰めていただろう。章三郎はその瞳に、自身が死とくらく重なるのを見たのだと思う。

 

* * * * * 

 

章三郎には鈴木という知り合いがいた。同じ大学の法科に通う学生で、茨城の豪農の息子。友人からの人望が篤かった。章三郎は彼から借金をする。自ら幹事をつとめる中学の同窓会の会費に困っていたのだ。それは芸者をあげる分不相応なものだった。章三郎に返済のあてはない。その「悪い癖」は本人も自覚していたが、「改めたいと願っても、到底自分は改められない性分である事を知り抜いて居た」。友人を騙すのは鈴木が初めてではなかった。金はそのまま会費にあてられる。「己は友達をペテンに懸けて、云わば他人を瞞着(まんちゃく)した金で遊んで居るのに、どうしてこんなに面白いんだろう。来週の金曜になれば自分の詐偽(さぎ)が暴露するのに、どうしてそれが心配にならないんだろう。恐らく世の中に、自分程道徳に対して無神経な人間はあるまい」。鈴木からの督促の手紙にも応じようとしなかった。「彼は鈴木の人格を、自分の都合のいいように解釈して、自分の悪事が曖昧に葬られる事を祈って居た」。

そうこうするうちに、鈴木は腸チフスに罹ってしまう。容態は重い。見舞った友人によれば、「あの塩梅(あんばい)じゃ鈴木はとても助からない。先ず死ぬだろう」という。それを聴いた章三郎は言下に否定しつつも、「妙に昂奮」する。「不断は無意味に発音して居た「死」と云う名詞が、俄(にわ)かに千鈞(せんきん)の重みを以て、暗く物凄く心の上に蓋(かぶ)さって来るようであった」。一方、章三郎は自分のことが心配だ。「「間室は憎い奴だ。とうとう己を欺しゃあがった。己は死んでも彼奴(あいつ)から金を取返してやる。」などと譫言を吐きはしないか」。────「兎に角章三郎は、病人が聖者のような廓落(かくらく)たる心境に到達して、気高く美しく死んでくれる事を、病人の為めにも自分の為めにも祈らずには居(お)れなかった」。

 

* * * * *

 

鈴木の病中、「死に対する恐怖」が強迫観念として、章三郎を悩ませてもいた。それは鈴木の死後、ますますたかまりをみせる。「己はいつ死ぬか分らない。いつ何時、頓死するか分らない」。脳出血や心臓麻痺に怯え、実際、急に頭が上気したり、胸が痛くなったりした。夜は恐怖に震え、朝になって漸(ようや)く眠ることもあった。「恐怖は殆んど章三郎を発狂させねば置かない程に昂奮させた」。

彼はそれにどう対処したらよいか分からなかった。しかし章三郎は、「誰よりも明かに自己の病源を自覚して居る」。「子供の時分から、あんまり不自然な肉慾(にくよく)に耽って、霊魂を虐げ過ぎた為めに、今その報いを受けて居るのだ」。死の恐怖は、医者に治すことのできない「魂の疾病」であり「天罰」なのだという。章三郎はその罰を甘受しようとしない。「誰が己を、天に逆って生きなければならないような人間に生んだのだ。善に対して真剣になれず、美しき悪業に対してのみ真剣になれるような、奇態な性癖を己に生みつけたのは誰なのだ。己は己の背徳について、天罰を受ける覚えはない!」。「不自然な肉慾」をみたす「美しき悪業」。これが章三郎最大の関心事だった。しかも、ただ真剣なのではない。美しき悪業にのみ真剣なのだ。それは善のみならず、その他すべての価値の軽視を意味し、輪をかけて暴力的な関心の規定だ。「彼は是非とも生き長らえて、いつか一度は己れの肉体を、己れの官能を、その歓楽〔悪魔が教える歓楽〕の毒酒の海に浸らせたかった」。そこでは、美の感覚は、肉体の快楽、官能の快楽のことであり、章三郎にとっての窮極的な関心事、生きる意味に他ならなかった。

では、死の恐怖から逃れることのできない章三郎はどうしたか。酒に逃げた。もう夜は飲酒しなければ寝られず、昼間でも、電車の中でも酒を飲んだ。「どんなに恐ろしい刹那でも、即座に酔ってさえしまえば忽(たちま)ち神経が鎮静して、五体の戦(おのの)きが止まるのであった」。自己破壊的な逃避。その先はくらい。

 

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章三郎の人間観は冷めている。「彼は第一如何なる他人に対しても、赤誠を吐露して、真剣に物を云おうとする気分が起らなかった」。「自分以外の人間と云う者は、自分に対してそんなに強い影響や感化を及ぼし得るものではない」からだ。彼のうちにある「何か真剣な或る物」は、将来、その天才が成熟した時、芸術によって発表されることはあるかもしれないが、「友達の顔を見ると、卑しい下らない悪ふざけの冗談より外話をする気にならなかった」。章三郎はそれに劣等感をいだく一方、望み欲してもいた。「彼の胸の中には、閑寂な孤独生活に憧れる冥想的な心持ちと、花やかな饗宴の灯を恋い慕う幇間(ほうかん)的な根性とが、常に交互に起って居た」。「悪ふざけの冗談」は、実は、社交に価値を認めていないことの裏返しだが、芸術が満たさない欲求を埋める役割も果たしただろう。人間関係のうち、恋愛にだけは価値を置いたが、肉体関係に過ぎなかった。「決して相手の人格、相手の精神を愛の標的とするのではない」のだという。章三郎は「道徳的センティメントを全然欠いて居るのみならず、そう云う情操を感じ得る他人の心理をも解する事が出来なかった」。それでも寝床の両親をみると、こう思わずにはいられなかった。「世の中に己のような悪人は又とあるまい。己こそ本当の背徳漢だ。天にも神にも見放された人間なんだ。………お父つぁんおっ母さん、どうぞ私を堪忍して下さい」。

芸術が表現する「何か真剣な或る物」。しかし創作は進まなかった。「「自分には優秀な才能がある。」そう信じながら、彼は一向その才能を研(みが)こうとはせず、暇さえあれば安逸を貪(むさぼ)り、昼寝と饒舌と飲酒と漁色とに耽(ふけ)って居た」。時には焦りもした。「己は今のうちにどうかしなければならない。えらくなるなら、今のうちにえらくならなければならない」。このままでは貧しい現状を受け継ぐことになる。しかし筆は進まない。「たった今、机に向って何かやり始めたかと思うと、いつしか彼は茫然として、女の事や美酒の匂(におい)や、恐ろしく病的な、荒唐無稽な歓楽の数々を、取り止めもなく胸に描いて居た。彼は覚めながら夢を見て居るも同然であった」。 

 

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「六月の末の、降り続いた霖雨(りんう)が珍しく晴れ渡った或る日」、お富は死ぬ。章三郎は娼婦のところに泊まった後、今夜妹が死ぬのではないか、という胸騒ぎに堪えかね飲酒し、夜の九時頃、死の一時間ほど前に帰宅する。お富は「もう唇が硬張(こわば)ったのか一と言も物を云う事は出来なかった。彼女は唯(ただ)、賢い犬のように瞳を上げて、じっと章三郎の顔を見入った」。彼は妹に、心配らしい心配をしたことがない。「自分と彼女との肉身〔ママ〕の関係を、それ程根柢(こんてい)の深いものとは、どうしても信じたくなかった」。お富の瞳は、最後の最後まで章三郎を死に直面させる。「お富、お富、なんでお前は己をそんなに睨(ね)めるのだ。この間己がお前を叱ったのは、ほんの一時の腹立ち紛れに過ぎないのだ。どうぞそんなに睨まないで、もう好い加減に免(ゆる)してくれ。己はお前の兄じゃないか」。

 

お富は死に際し、独り言のようにこう呟く。「あああ、あたいはほんとに詰まらないな。十五や十六で死んでしまうなんて、………だけど私(あたい)は苦しくも何ともない。死ぬなんてこんなに楽な事なのか知らん………」。「哲人の教え」のようなこの言葉は、彼女の尊厳をあらわして、ほとんど一篇の詩のようだ。

これまで、その瞳によって、死に対する恐怖を突きつけてきたお富が最期、「霊魂や「死」の秘密」を知る者として、反対のことを口にした。この落差に、章三郎は驚いたに違いない。いや、死の恐怖のただなかで、人生に絶望していたことを思えば、重大な示唆だった。お富は一貫して、ほとんど死しか見詰めていなかった。その言葉は、暴力と誘惑という違いはあるものの、本質的には、いままでと同じことをいっている。

 

お富が死んで二ヶ月、章三郎は短篇を文壇に発表する。「それは彼の頭に醱酵(はっこう)する怪しい悪夢を材料にした、甘美にして芳烈なる芸術であった」。

 

* * * * *

 

これまで創作に手がつかなかった章三郎にとって、作品の発表は大きな変化だ。彼は作品を書くかわりに「女の事や美酒の匂や、恐ろしく病的な、荒唐無稽な歓楽の数々を、取り止めもなく胸に描いて居た」。それは「覚めながら夢を見て居るも同然であった」。章三郎が芸術から目を逸(そ)らしたのは、「臆病で病的な神経」が働いたからかもしれない。それは、お富の「あの怪しげな、じっと自分を視詰めて居る瞳が、やがて彼女の死んだ後まで長くこの部屋に残って居て、夜な夜な彼〔章三郎〕を睨み付けるに極まって居る」と思うような神経だ。いずれにせよ、そこに「死」への眼差しの痕跡を認めることは可能だろう。彼は芸術に、知らずしらず、「死」を察知していたのだと思う。現に、鈴木の死後、創作に取り組めないことは、死の恐怖から逃げることと、パラレルに進行した。

お富の言葉は、章三郎の芸術観を最後のところで「死」に導いたと思われる。そしてとうとう彼は、芸術のうちに「死」を認めるに至っただろう。章三郎にとって芸術は、第一に、「死」を見詰める方法となってしまった。彼はいわば、そのようなものとして芸術を「再発見」したのだ。翻って、美しき悪業のうちに、「美しい術(beaux arts ボザール)」が含まれていることにも気づいただろう。そのとき芸術は、美しき悪業ともなった。こうして窮極的な関心事は、芸術という、彼にとって窮極的な表現方法と接続される。

他人は自分を感化しないと思っていた章三郎。しかしお富は、彼に決定的な影響を与えてしまった。死の恐怖を天罰と感じ、逃げるしかなかった章三郎にとって、芸術の「再発見」へとつながるお富の示唆は、天恵と感じられたかもしれない。彼女は文字通り、自らの命と引きかえに兄を救ったのだ。それは章三郎にとって、根底的な快楽だったに違いない。「何でも彼の要求を聴いてくれる一人の娼婦」がマゾヒスト・章三郎に与えた快楽、「激しい恐怖と激しい歓楽とが、交(かわ)る交る彼を囚(とら)えて、前後不覚の Delirium の谷に墜(おと)した」のより、もっと深い快楽だったに違いない(delirium とは、狂乱、狂喜の意)。

彼は死の恐怖から逃れるためなら、親から金を盗んで酒を買い、アルコールが入っていれば何でも飲んだ。気に入った娼婦を見つけると、学費をつぎこみ、借りた本さえ売った。昂(こう)じて快楽は、際限なく放蕩を要求する。しかし最後、彼を貫いたのは芸術美をめぐる欲望だった。芸術的表現欲と悪業美への欲望とが、「死」を契機として求めあい、渾然となって章三郎を満たした。「甘美にして芳烈なる芸術」はそこから溢れでたものだ。

美で欲望を満たすだけでなく、そこから突き抜けること。美の創造性を芸術的に受け継いで、作品として内から外へだすこと。芸術という創造的な営みが、美の創造性と一体となって、章三郎を貫き通した。それは欲望と快楽の、一応の終着点だ。芸術作品という、有限で具体的、かつユニークな存在が、放蕩の防波堤となる。窮極的な関心事が、窮極的な表現方法でかたちにされた「作品」は、章三郎にとって、窮極的な存在であったに違いない。それは彼に、深い快楽とある種の倫理をもたらしただろう(こう考えてくると、この中篇を、ある欲望の経済史として読むこともできると思う)。

章三郎はかつて、夢という自律的で創造的な対象を加工したが、「成ろうことなら、己はいつまでもこうやって眠ったままで生きて居たい」と「思った瞬間にぱっちり眼をあいてしまった」。その後彼は、「頭に醱酵する怪しい悪夢」を加工して、作品という自律的で創造的な存在を生みだした。芸術によって社会的・経済的に成功することで、「現実の世に執着しつつどうにかして楽みを求め出したかった」と願った章三郎は、作品という現実に取り組むことによって、夢を芸術的に昇華させ、そこに楽しみを見出すようになったのだ。「死」は芸術美を通じて、快楽が優勢な体験となる。

芸術を「死」と向き合う方法として「再発見」したこと。それは章三郎にとって救いであったが、同時に、根底的な悲劇でもあった。「魂の疾病」に「根本的に治癒する道」はないことの発見でもあったからだ。そうして彼は、生と「死」の間(あわい)に宙吊りにされる。その意味で芸術は、章三郎にとって決して報われることのない営みだ。しかし彼は作品を発表し続けるだろう(症候としての芸術)。そして「死」を見詰め続けるだろう。鈴木ほど遠くなく、自分ほど近くもなく、例えばお富に対するような距離感をもって。過度に昂奮することも、強迫的に恐れることもなく、(善や道徳に優先する)美の快楽を味わいながら。文学的に示された章三郎の悲劇の構造、それはこの作品の悲劇性、芸術性そのものだ。

 

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「死んだ体はまだ微かに動いて居た。もくもくと肩の筋肉を強直(ごうちょく)させて、唇の間から、葉牡丹のように色の褪(さ)めた舌を垂らした」。兄の瞳は翻って、彼女を死と重ね合わせている。それは美しき悪業と映ったかもしれない。

決定的な一言を浴びせることなく妹は逝ってしまった。章三郎が生みだした芸術、それはお富に対する「叫び」──ejaculation──でもあっただろう。