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マリインスキー・バレエ来日公演、《マリインスキーのすべて》を観る

12月3日、マリインスキー・バレエ来日公演《マリインスキーのすべて》を観た。3部に分かれたガラ公演だ。会場は、東京文化会館

マリインスキー・バレエは、3年ぶりの来日で、前回同様、オーケストラを帯同している。

舞踊監督は、2008年より、ユーリー・ファテーエフ(Yuri Fateev)*1

第2部から鑑賞した。

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上演順に、関心に即して、感想を述べていこう。

 《眠れる森の美女》よりローズ・アダージョ(原振付:マリウス・プティパ、改訂振付:コンスタンチン・セルゲーエフ)

オーロラ姫を踊ったのは、マリア・ホーレワ(Maria Khoreva)。今年、ワガノワ・バレエ・アカデミーを卒業し、マリインスキー・バレエに入団。先月、コール・ド・バレエから、ファースト・ソリストに昇進した*2サンクトペテルブルグ生まれ*3

登場して先ず、太腿(ふともも)のあたりから、脚の長さが、目に入る。細いのだ。

そして、上半身の踊りの、なめらか、かつ、優雅なこと(あの腕!)。単に、なめらか、と言って済ますことのできない、なめらかさである。

ゆっくり踊っているわけではないのに、動きの一瞬一瞬が、静止しているかのように見え、それなのに、この上なく、なめらかなのだ。動(生)と静(死)とが、抽象的に、しかし、すぐれて、具象的に、一体化したバレエ(ナルシス!)。

一見して、思わず、息を呑んだ。「肉体の向こう側」を、これほど顕著に(従って、独創的に)、舞台上に表現する踊りは、稀だからだ。

想像するに、バレエを踊るとは、自らの肉体との、対話なのだと思う(美しいバレエは、肉体性と、芸術性とが、融合しているので、そう思う)。ホーレワは、それら、対話を重ねた挙句、バレエとしての肉体を突き詰めながら、同時に、そこから逸脱して、普段、奥に仕舞われている、肉体の捩じれた本質を、彼女独自のスタイルとして、文字通り、体現してみせた。ホーレワは、バレエの秘密を知っている。言葉にすることも、踊ることもできない、その秘密を、彼女は、解放したのだ。ただし、秘密を明らかにすることなく、肉体から舞台へ、美という現象に屈折させて。それは、劇場で上演され、観る者によって、出会われる、知識らしい知識である(この踊りを発見したとき、彼女自身、鏡の前で、驚いたに違いない)。

その上、なめらかな動きの延長で、体幹をひねって反ったり、脚を真上に上げたりすると(そのラインの、しなやかなこと)、エロティックなものが、一気に凝集してくる。

バレエ鑑賞を続けていると──というより、おそらく、バレエを愛好していると──、このような「奇跡」を体験することが、稀にだが、ある。ロパートキナの《瀕死の白鳥》、倉永美沙のキトリ、最近では、ホールバーグのデジレ王子が、そうだった。世界的なバレエ団の、最高位ダンサーでも、ここまで突き抜けるのは、一握りだろう。

エトワール誕生を喜びたい。

 

《ソロ》(振付:ハンス・ファン・マーネン)

音楽は、J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第1番 から、第2楽章(Courante - Double(Presto))。録音が使用された*4。公演プログラムによると、「かつてファン・マーネン自身が在籍した現代舞踊団ネザーランド・ダンス・シアターの若手カンパニー、NDT2のために振り付けた」作品だという。1997年初演*5

三人の男性ダンサーが、タイツに、Tシャツ姿で踊る。フィリップ・スチョーピン(Phillip Stepin/ファースト・ソリスト)、ヤロスラフ・バイボルディン(Yaroslav Baibordin/コール・ド・バレエ)、マキシム・ゼニン(Maxim Zenin/コール・ド・バレエ)。

すっきりと、上手な踊りで、マリインスキーの、男性ダンサーの、味わいを、愉しむ。作品自体は、「バレエ」と呼べるか分からないが(そう称しているいるかは別として)、この三人によって踊られると、「バレエ」になった。

 

《海賊》第2幕のパ・ド・ドゥ(原振付:マリウス・プティパ

セカンド・ソリストの、永久メイと、プリンシパルの、キミン・キム(Kimin Kim)が踊った。

永久は、登場して先ず、首の美しさが光った。

彼女も、四肢が細く長いのだが、肉の下にある、骨が強調されて、よい枝ぶりを思わせる。確かな技術に裏打ちされた、造形が見事だった。

劇場に来れば分かるが、マリインスキー・バレエのダンサーだからといって、皆が常に、芸術的なバレエを踊るわけではない。また、永久が、とても若く、日本人だからといって*6、バレエの、芸術的成否と、直接の関係を持つわけではない。美は、正直だ。生れや年齢、キャリアに無関心、ある芸術の結び目に、ふと、息づく。

彼女が、すでに、マリインスキー・バレエの、セカンド・ソリストであるのも、不思議ではない。永久のバレエは、ユニークで美しい。それが理由である*7

 

《バレエ101》(振付:エリック・ゴーティエ)

シュツットガルト・バレエの、ノヴェール協会で、2006年に、発表されたという。

バレエ-肉体の秘密は、ポジション(テクニック)を、100まで積み上げても、現れないし、それを超えて、101となって、肉体がばらばらになっても──dismember──、出てこない。英国人プリンシパル、ザンダー・パリッシュ(Xander Parish)は、とても上手に踊り、変な振りまで丁寧に再現していた。 

 

《別れ(Parting)》

振付けは、マリインスキー・バレエの、セカンド・ソリストで、振付家でもある、ユーリー・スメカロフ(Yuri Smekalov)*8。音楽は、映画「Mr.&Mrs.スミス」より、アサシンズ・タンゴ(ジョン・パウエル作曲)。2008年に初演されたという。

コリフェの、エカテリーナ・イワンニコワ(Ekaterina Ivannikova)と、ファースト・ソリストの、コンスタンチン・ズヴェレフ(Konstantin Zverev)が踊った。

冒頭、赤いドレスを纏った、イワンニコワの、四肢に散(ばら)ける肉体に、引かれたが(特に、集中的な脚に)、創造的に、言葉を喚起されるに、至らなかった*9

公演プログラムの解説を読むと、この作品では、「ダンス・クラシックの基本が入った身体ならではのメリハリで柔らかさと鋭さが縦横に繰り出される」(小町直美氏)。

確かに、《別れ》は、そのような特徴を、備えていたかもしれない。しかし、ファン・マーネン《ソロ》のように、バレエの身体が、作品として、よく示されることはなかったし、記憶を遡れば、オーレリ・デュポンの踊る、勅使川原三郎《睡眠》のように、さらに進んで、独創的な美を、湛えることもなかった*10

今回は、縁のない作品だったのだと思う。 

 

* * * * *

 

《パキータ》よりグラン・パ(原振付:マリウス・プティパ、復元振付・演出:ユーリー・ブルラーカ) 

主役を、プリンシパルの、エカテリーナ・コンダウーロワ(Yekaterina Kondaurova)と、ファースト・ソリストの、アンドレイ・エルマコフ(Andrei Yermakov)が踊った。

コンダウーロワも、四肢が長く、背の高いバレリーナだが、大柄な肉体をしている。

脚を上げると、硬い。脚そのものが硬い、というより、ポワント(pointe)から、脚が、空間に、有機的に、連関して行かないから、肉が、舞台から、はじき出されている。四肢を空間に溶け込ませて、肉体に〈死〉を与えること。そうすることで、肉体に、〈生〉の輝きをもたらすこと。翻っていえば、「若さ」の方から、〈死〉にたどりつくこと。バレエを踊るとは、そのような芸術ではなかったか。

ソロでは、ホーレワが、目立った(イワンニコワの他に、ファースト・ソリストの、ナデージダ・バトーエワ(Nadezhda Batoeva)*11、セカンド・ソリストの、ヤナ・セーリナ(Yana Selina)も踊ったようだが、目立たなかった)。ローズ・アダージョのような芸術性は示さなかったが、造形が立体的で(つまり、舞台空間と調和して)、美しかった。

群舞では、目立ったバレリーナはおらず、むしろ、「踊れていない」ことの方が、目立った。

 

アレクセイ・レプ二コフ(Alexei Repnikov)指揮、マリインスキー劇場管の演奏は、この楽団特有の、硬質な音色で、造形的であったが、バランスを欠くきらいがあり、技術は緩かった。

 

配役表は、以下となる。

http://www.japanarts.co.jp/news/news.php?id=3633

《パキータ》では、会場で配布された配役表には、セーリナとホーレワの間に、マリア・イリューシュキナ(Maria Iliushkina/コール・ド・バレエ)の名前がある。

*1:https://www.mariinsky.ru/en/company/ballet/fateev

*2:マリインスキー・バレエは、プリンシパル、ファースト・ソリスト、セカンド・ソリスト、コリフェ、コール・ド・バレエの、五階級制。

*3:バレエ団のプロフィールは、以下。https://www.mariinsky.ru/en/company/ballet/first_soloists/dancers1/khoreva1

*4:英文の配役表によると、演奏は、シギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken)であるらしい。

*5:http://www.hansvanmanen.com/?p=repertoire&id=29&ln=en

*6:2017年、プリンセス・グレース・アカデミー卒業、同年、マリインスキー・バレエ入団。https://www.mariinsky.ru/en/company/ballet/second_soloists/dancers3/nagahisa1

*7:美に国境はない。しかし、私たちは、そこに線を引く。すると、差ができ、力関係が生まれる。美に、正直に書こうとしても、「書く」以上、「線引き」の政治から、逃れることはできない。だから、倫理が必要になる。倫理は、美の別名だ(逆もまた然り)。バレエの美について書くとき、ペンは、倫理的に「踊る」だろう。

*8:バレエ団のプロフィールは、以下。https://www.mariinsky.ru/en/company/ballet/second_soloists/dancers4/yuri_smekalov

*9:彼女の、バレエ団のプロフィールは、以下。https://www.mariinsky.ru/en/company/ballet/coryphees/coryphees_woman/ivannikova1

*10:デュポンの肉体は、バレエの美を、〈日蝕〉として受け持ち、逆説的に、バレエの本質を、照らして見せた。

*11:彼女は、第2部の最後、《チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ》を踊ったが、精細を欠いた。