op.1

ballet/orchesrta/criticism

スカラ座バレエの「ドン・キホーテ」をディスクで観る

9月某日、スカラ座バレエ来日公演の予習のため、2014年9月25日にスカラ座で収録された同バレエ団による「ドン・キホーテ」のディスクを鑑賞した。キトリ/ドルネシアをナタリア・オシポワ、バジルをレオニード・サラファーノフが踊った。ヌレエフ版。ダンサーを中心に感想を述べていこう。 

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ナタリア・オシポワ(Natalia Osipova)。彼女の踊りを初めて観る。充分に背が高く細いものの、特にそうだという印象はうけない。上半身の肉体は白く肌理細やかで、適度に引き締まっていながらも柔らかみを感じさせる。それがかたちづくる造形は比較的平板な特徴をもち、おおらかでたおやかな雰囲気をまとっている。一方、脚は太ももを中心に上半身の名残がいくぶん認められるものの、ふくらはぎなどはとても筋肉質で、全体として有機的なかたちをしている。そしてその脚を高く上げると、つま先から空間に溶け込む。上半身の有機性の低い柔和さと、下半身の有機性の高い硬質との対照が彼女の芸術性の軸だと思った。

 

サラファーノフ(Leonid Sarafanov)は細身のバレエ・ダンサーだ。特に脚の細さが際立っていた。踊りは端正。力むことなく、かといってだれず、ていねいに肉体を造形してゆく。その古典的抑制は上品で貴族的(!)、バレリーナのように美しかった。彼の踊りを初めていいと思った。

 

ドリアードの女王を踊ったのはニコレッタ・マンニ(Nicoletta Manni プリンシパル)。オシポワとサラファーノフはゲストとして主役を踊ったが、マンニはスカラ座バレリーナだ。彼女は背が高く(オシポワよりも高い)四肢が長い。また肉体は細くとても引き締まっている。踊りは造形性があり脚はとても高く上がる。ポーズもきちんと決める。ジャンプの着地音もほとんどしない。美的に非の打ちどころがない。では彼女の芸術的特徴はどこにあるのか。劇場で確認する必要があるだろう。

第二幕のヴァリエーションでは拍手にまじって足踏みも聴かれた。オシポワにもサラファーノフにもなかったことだ。それには「私たちのバレリーナ」への敬意が含まれているのかもしれない。 

 

キューピッドを踊ったのはSerena Sarnataro(現コール・ド・バレエ)。彼女は小柄でやや四肢が短く肉付きがよい。マンニとは対照的な肉体だ。踊りは悪いとは思わなかったが特に良いとも思わなかった。彼女の踊りも劇場で観る必要があるだろう。

 

ストリート・ダンサーを踊ったのはヴィットリア・ヴァレリオ(Vittoria Valerio 現ソリスト)。小柄で細いバレリーナだ。彼女の踊りは造形性に特徴がある。端正にかたちを作るのだがそれが雄弁なのだ。かたちの一つひとつがまるで古代彫刻のように細やかにドラマを形成し語りかけてくる。私は彼女の先輩バレリーナアレッサンドラ・フェリを思い起こした(もちろん在り方は大きく異なるが)。

彼女はこの3月にスカラ座でキトリを踊ったようだ。既に発表されているとおり、来日公演でキトリを踊る予定の一人であったポリーナ・セミオノワは降板し、シュツットガルト・バレエのエリサ・バデネスが代役を務めることになった。それも楽しみだし、代役を引き受けてくれたバデネスには感謝の気持ちしかないが、ヴァレリオのキトリも観てみたかった。ちなみに彼女は日本公演に先立って行われた中国公演ではジゼルを踊ったようだ。

 

キトリの友人を踊ったのはルーシーメイ・ディ・ステファノ(Lusymay Di Stefano 現Supplementary Corps de ballet)とデニース・ガッツオ(Denise Gazzo 現同)。芸術性は分からなかったが、好感のもてる踊りだった。両者の違いを指摘すれば、ディ・ステファノのほうが踊りが明瞭だと感じた。ちなみに彼女はマンニ、ヴァレリオとともに中国公演でジゼルを踊ったようだ。

 

ブライズ・メイドを踊ったのはヴィルナ・トッピ(Virna Toppi  現ソリスト)。ジャンプの時は少しぎこちなく感じるものの、確かな造形性が認められた。

 

演奏からはスカラ座管弦楽団の音が聴こえた(指揮はAlexander Titov)。音色と線はやや金属質に硬質。音楽に造形性があり古典性が高い(このオーケストラの実演に接したことはないが、芸術的にはイスラエルフィルハーモニー管弦楽団に近いのではないかと思う)。技術も申し分なく、演奏として芸術性があった。

 

最後に映像の編集について触れておこう。 カメラは時々真上からダンサーをとらえる。しかしそれでは踊りの様子は分かりずらい(そもそもバレエはそのように観られることを想定していないだろう)。鑑賞者のダンサーへの眼差しもそのつど分断される。舞台を「映像作品」にするためにはある程度の編集はやむを得ないだろうが、可能な限りバレエの美を尊重してほしいと思った。

 

予習はこれでおしまい。あとは本公演を楽しみに待とう。