op.1

ballet/orchesrta/criticism

エイフマン・バレエ《ロダン》を観る

7月19日(金)、エイフマン・バレエ(Eifman Ballet)*1来日公演、《ロダン~魂を捧げた幻想(Her Eternal Idol)》(振付:ボリス・エイフマン)*2を、鑑賞した。東京文化会館(19時開演)。

エイフマン・バレエ、21年ぶりの、来日という。

東京公演は、木、金、土、日の、4公演、2演目。前週土曜に、大津、月曜に、静岡で、それぞれ、1演目、上演している*3

ロダン》は、全2幕のバレエで、2011年初演。

観る前、チラシに、「男性182㎝以上、女性172㎝以上という高身長の才能豊かなダンサーたち*4」とか、「演劇的・アート作品としても注目。世界中で唯一無二のバレエ・エンターテインメント!!」と、書かれていたので、少し心配だったが、 現実になってしまった。

 

f:id:unamateur:20190802093447j:plain

 

客席は、概(おおむ)ね、埋まっていた。

バレエ団や、主催者のホーム・ページに、物語のあらすじは、見当たらなかったが*5(公演プログラムには、記載がある)、彫刻家ロダンと、その弟子で愛人の、カミーユ・クローデルが、話の軸となるらしい。

ダンサーは、 ソロが3人で、あとは、群舞という、構成。

ロダンを踊ったのは、ソリストの、オレグ・ガブィシェフ*6カミーユ*7を踊ったのは、同じく、ソリストの、リュボーフィ・アンドレーエワ*8。ローズ・ブーレ(ロダンの内縁の妻)を踊ったのは、同じくソリストの、リリア・リシュク*9

音楽は、録音が使われ、潰された、オーケストラ・ピットの両脇の、スピーカーから、流れた*10。生のバレエを味わう劇場では、録音は、似合わないと、思う。

アンドレーエワ、リシュクは、トゥシューズを、履いていない。

皆、踊れていない、という訳ではないが、そこから、ダンサーの、芸術性が、伝わってこない。だから、役が、どのような人物なのか、分からない*11

コール・ド・バレエは、活気があって、踊りも上手い。しかし、バレエとは、感じられなかった(エンターテインメントではあった)。

総じて、《ロダン》は、美的に、バレエと、感じられなかった*12

また、エイフマンは、例えば、十人程の、静止したダンサーの肉体を、ロダンの彫刻に、擬(なぞら)えた(それは、ロダン的というより、(敢えて言えば、)むしろ、古代彫刻的だった)。 ロダン(や、古代の彫刻家)は、静で、動──eternal──を、表現した。バレエは、しばしば、動で、静──eternal──を、表現する。静を、静で、素朴に表現するのは、バレエの振付けとして、芸術的なのだろうか。歪んだ肉体など、「ロダン」を思わせる箇所も、あった。しかし、それらは、表面的に、過ぎなかった。エイフマンは、バレエによって、ロダン芸術をも、表現しなかったと、思う*13

 

* * *

 

バレエを観に来て、バレエが上演されない(と感じられる)、というのは、劇場に来た、甲斐がない*14

カーテンコールを待たずに、席を立った(ベジャール・バレエ・ローザンヌ来日公演《魔笛》以来のことだ*15。今回は、それより、見るべきものが、なかった)。

ホワイエを歩きながら、「ブラヴォー」が、聴こえる。

明後日、日曜は、《アンナ・カレーニナ》(振付:ボリス・エイフマン)を、鑑賞する。

 

配役表は、以下。

【キャスト表】7/18、7/19「ロダン~魂を捧げた幻想」エイフマン・バレエ|ニュース|音楽事務所ジャパン・アーツ

*1:1977年、ボリス・エイフマン(Boris Eifman)により、サンクトペテルブルグに、創設。The Company  エイフマンは、1946年生れ。ロシア出身。現在、エイフマン・バレエ、芸術監督。Boris Eifman

*2:Rodin, Her Eternal Idol

*3:来日公演の日程は、以下。エイフマン・バレエ 日本公演2019 特設サイト-チケット概要-

*4:公演プログラムには、入団規定として、男性184㎝以上、女性173㎝以上とある。

*5:この感想を書き終えた後(あと)、主催者のホーム・ページの、奥の方から、あらすじが、見つかった。《ロダン~魂を捧げた幻想》あらすじ【エイフマン・バレエ】|ニュース|音楽事務所ジャパン・アーツ

*6:1985年生れ。ロシア出身。2004年入団。Oleg Gabyshev  エイフマン・バレエは、ソリスト、コール・ド・バレエの、二階級制。Ensemble  公演プログラムによると、ガブィシェフは、2010年と、2012年、エイフマン振付《アンナ・カレーニナ》で、新国立劇場バレエ団に、客演したという。

*7:役は、「クローデル」ではなく、「カミーユ」とされている。

*8:1988年生れ。ベラルーシ出身。ベラルーシ国立オペラ・バレエ・アカデミー劇場(2009-11年)を経て、2011年入団。Lyubov Andreyeva

*9:1989年生れ。ウクライナ出身。マリインスキー・バレエ(2008-13年)を経て、2014年入団。Lilia Lishchuk

*10:音楽は、ラヴェルサン=サーンス、マスネ、ドビュッシー、サティの楽曲が、用いられた。詳しくは、以下。エイフマン・バレエ 日本公演2019 特設サイト-ロダン-

*11:ゆえに、ロダンカミーユの、権力関係が、肉体美の関係から、捉えなおされることは、なかった。

*12:エイフマン自身、この作品を、バレエと、呼んでいる。Rodin, Her Eternal Idol

*13:エイフマン《ロダン》より、例えば、ロダン《小さなトルソ》(国立西洋美術館)の方が、むしろ、バレエのエッセンスに、近い。オーギュスト・ロダン | 小さなトルソ | 収蔵作品 | 国立西洋美術館  バレエ・ダンサーの四肢が、空間に、有機的に、連関して溶け込むとき、その肉体は、〈トルソ〉となる。また、エイフマンは、「このバレエを創作しながら、私は石の彫像がとらえている瞬間を、一切束縛がなく押し寄せる感情の激流のような身体の動きに変貌させようと努めました」(公演プログラム)と述べているが、成功しなかったと、思う。その点、ジョン・ノイマイヤーニジンスキー》(2000年)の方が、《ロダン》に、近かった  unamateur on Twitter: "《ニジンスキー》は、バレエという芸術が潜在的に孕む狂気を、例えば、プティパとは反対のベクトルで、表現しているように思われる。ここで、ニジンスキーの狂気とは、顕在化した、バレエそのものの狂気に他ならない。一方、それを表現するダンサーには、身体的に、高い、古典的素養が求められるのだ。"(余談だが、ロダンには、《ニジンスキー》という作品が、あるらしい。エイフマン・バレエ来日記念講演会レポート|ニュース|音楽事務所ジャパン・アーツunamateur on Twitter: "それは、昨年、フィンランド国立バレエ来日公演で観た、アンティ・ケイナネンの踊る、バレエ《悲愴》(振付:ヨルマ・ウオティネン)が、「「バレエ」というよりむしろ「ダンス」(の狂気)であった」のとは、一線を画する。 https://t.co/gUtN1VrIrK"  フィンランド国立バレエ来日公演を観る - op.1(かつ、(私にとっては、)エンターテインメント性も、《ロダン》より、《ニジンスキー》の方が、高かった。  unamateur on Twitter: "ノイマイヤー作品は、《ニジンスキー》のような重い作品でさえ、「ポップ」だと思う。丸谷才一は、シェイクスピアを挙げて、よく知らない人も、よく知っている人も、それぞれに楽しむことができると言っていたが(うろ覚え)、観た限り、当てはまると思う。〈普遍〉と「ポップ」が、結びついている。")。舞台で取り上げられた、ロダンクローデルの、作品は、以下。エイフマン・バレエ 日本公演2019 特設サイト-ロダン-  そこには、ロダン《永遠の偶像(The Eternal Idol)》が、含まれている。The Eternal Idol | Rodin Museum

*14:最後に、エイフマンが、自らの芸術を、どのように捉えているか、公演プログラムの、インタビュー記事を、見てみよう。「バレエ学校からダンサーを選ぶ優先権はボリショイ劇場マリインスキー劇場にあります。… しかし、こういう大劇場は技術面とクラシック・バレエの型を重視し、俳優としての個性は二の次です。私はこの個性こそを求めています。そして、この個性をリハーサルのなかで伸ばすことに力を注いでいます」。「19世紀のマリインスキー劇場はプティパの家で、20世紀のボリショイ劇場はグリゴローヴィチの家でした。21世紀にはエイフマンのバレエ・シアターがあります。… 今日のロシア・バレエとは我々のバレエ・シアターです」。しかし、それが、バレエの技術を使った、「俳優」の踊りであっても、「技術面とクラシック・バレエの型」に、創造性が感じられなければ、(本当の意味で、)バレエだと、思わない。彼は、また、次のように、述べている。「学生時代にプティパの作品を学んでいたとき、プティパのスタイルは折衷主義だと言われました。彼はパントマイム、民族舞踊、クラシックと、あらゆるものを用いました。プティパにとって重要なのはグランド・スペクタクル(大規模な舞踊劇)を作ることだったからです。我々は新たなレベルでその時代に戻りつつあります。スタイルとしての折衷はバレエの発展を可能にします。20世紀に我々が経験した折衷により多くの舞踊のアイデアが生まれ、実験が行われました。いずれ19世紀と20世紀のすべてを融合し、21世紀の芸術につなげる天才的な若手振付家が現れるはずです」。プティパの振付けの、クラシックの(な)純粋性を思えば(それは、バレエの、コアだ)、バレエ芸術は、パントマイムや、民族舞踊のみならず、演劇的なそれも、その古典性を、具体的に、再定義するようなものに、なるのではないか(直近では、6月に観た、ロイヤル・バレエ、プリンシパル、ヤスミン・ナグディの、《三人姉妹》(振付:ケネス・マクミラン)イリーナが、芸術性の高い、演劇的バレエであった。ロイヤル・バレエ来日公演《ロイヤル・ガラ》を観る - op.1)。

*15:評は、以下。ベジャール・バレエ・ローザンヌ、来日公演を観る - op.1