op.1

ballet/orchesrta/criticism

イングリッシュ・ナショナル・バレエの《海賊》をディスクで観る

7月某日、イングリッシュ・ナショナル・バレエ(English National Ballet)の来日公演(《コッペリア》/《海賊》)を前に、同バレエ団が、2014年、ロンドンで行った《海賊》公演を、ディスクで鑑賞した。マリウス・プティパ、コンスタンチン・セルゲイエフに基づく(1974年キーロフ版)、アンナ=マリー・ホームズ版(2013年、同作品の英国初上演)。ダンサーを中心に、短く感想を述べたい。

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先ず、3人のオダリスクでは、ローレッタ・サマースケールズ(Laurretta Summerscales)がよかった。彼女の白い肉体は、控えめな筋肉を身につけて、まろやかかつおおらかに踊る。しかし、だれることはない。その造形は、終始、保たれていた。

ギュルナーラを踊ったのは、高橋絵里奈。彼女は必ずしも背は高くなく、四肢も長くない。しかし、肉体に確かなかたちを与え、それを掌握しているから、踊りが一貫して明瞭。それらの条件は、バレエへの硬質な作用として(事後的に)わずかに意識された。すっと伸ばした脚も有機的で美しかった。

メードラを踊ったのは、アリーナ・コジョカル(Alina Cojocaru)。彼女も決して背の高いバレリーナではないが、高橋と比べて、やや高く、四肢も長くみえる(第3幕によると、実際は高橋の方が高いようだ)。有機的な踊りに、独特に有機的な肉体。そう、コジョカルの芸術的特徴は「肉体の芳醇」にある。生ほど濃厚ではないが、それは、ディスクを通じても漂ってきた。

コンラッドを踊ったのは、ワディム・ムンタギロフ(Vadim Muntagirov)。すらっとして踊りは端正。そのうえ、甘い雰囲気を纏っており、海賊の首領ながら、その貴族性は隠しようもない。

群舞の質は高かった。しかし、どのように高いのかは分からなかった。劇場で確認したい。

演奏は、ギャヴィン・サザーランド(Gavin Sutherland/Music Director)指揮による、イングリッシュ・ナショナル・バレエ管弦楽団(English National Ballet Philharmonic)。粗いところがあり、伴奏的に感じられるものの、造形性があり、踊りと呼応して、バレエの一翼を担っていた(ちなみにサザーランドは、ラース・ペインと共に編曲を担当したという)。